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山形不登校指南<4>

梅の香り



    友だちが来ても、顔向けできない心境 


不登校に入った当初の朝の続きをもう少し語りましょう。

友だちが家に迎えに来ることがあります。
以前からいっしょに登校している友がいるなら別ですが、担任から
言われて本人とはまあまあ親しい友だちが来ることがあります。
家が近いとか、クラスが一緒だからという程度の理由です。

不登校に理解のない担任は、子どもが行けばうまくいくのではないかと
かすかな望みをもってその子どもたちに託します。

託された子どもたちはほとんどまじめですから、担任から言われた
通りの行動をします。そこで家に向かいに行きますが、本人から見事
に拒否されます。

「友だちが迎えに来たよ、出なさい。」
などと親が言おうものなら、烈火のごとく怒りだすこともあります。

「俺はあれに会いたくないんだよ。」
などの声が聞こえたりすると、迎えに行った子どもたちは大きな
ショックを受けることになります。


こんなことを続けていたら友人関係にも間違いなくひびが入ります。
せっかくの友達関係も壊れかねないことを学校は理解すべきです。
担任から迎えに行かされた子が不登校気味になった事例もあります。

不登校初期は、誰にも会いたくない、顔向けできない自分とにらみ
合っているのです。これが思春期なのです。

担任であろうが、友だちであろうが、誰が何と言おうと本人が誰にも
会いたくないときは、会わせないのが親の務めでしょう。


親も担任も、本人の他人に顔向けできない気持ちを理解して
いただきたいものです。








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山形不登校指南<3>

小さな宇宙



   学校への欠席連絡は昼からでもいい 


不登校が始まって間もないころ、家庭内での騒ぎをよそに
担任から「今日はどうですか。」という電話が入ることがあります。
これは担任の仕事のうちで悪気はありません。

なんでこんな時にと思いながら、親子で緊張が走ります。一時休戦。
よそ行きの声色に直して担任の質問に答えなければなりません。

子どもの今の状態をどのように表現すればいいのか大変困ります。
ぐずっている、反抗している、いくかどうかわからないなどなど言葉が
頭をめぐります。

状況をリアルに答えるのはとても難しいことです。
「とりあえず子供を休ませます。」「もう少し様子を見ます。」
担任はまず子どもの出欠が朝の段階でわかればいいのです。


親に最初から子どもを休ませる覚悟ができていれば、朝の騒ぎはあまり
起こりません。朝は家庭から学校に連絡するのが徐々に苦痛になって
くるでしょう。

子どもの抵抗、親の仕事時間、学校への連絡と考えただけでパニック
になります。不登校の親はみんなが経験しているものです。

学校との関係だけ言えば、学校への連絡は朝でなくてもいいのです。
今の学校は子どもをじっくり待ってくれます。午後から登校しても、
夕方から行っても誰か職員は待っててくれます。昔とは違います。

子どもの朝の動きがわからないなら、わかってから連絡しても遅くは
ありません。学校はその日の子どもの生存確認のために、出欠を
確認しているくらいに考えていいと思います。


不登校初期の朝の連絡について。
学校からの連絡に子どもが異常反応したり、親が負担が大きいと感じ
るなら、当分の間、学校からの連絡はなしにして、時間不定になりま
すが親から連絡する旨を学校に伝えておけばいいでしょう。学校は
受け入れてくれるはずです。

もちろん、場合によっては担任には家庭訪問をしないでほしいときちん
と伝えることも大事です。

この方が子どもが回復した時に、担任との関係は良好になります。








100才詐欺

豊かな香り



100才時代に突入、100才時代をどう生きるか。
広告宣伝、政治家の常とう句になっている。
高齢化、超高齢化時代というより100才時代といえばおしゃれか。

誰が言い出したのか、どうも怪しい。
年金支給が60才から65才になり、70才にコマを進めようとしている。
100才という言葉は、とても具体的だ。
70才の人間は、あと30年生きられると思ってしまう。
それは大いなる勘違いだ。

かつて、きんさん・ぎんさんが100才、100才と言って世の中をにぎわした。
ただ、100才生きただけで報奨金が出た。当時の国民栄誉賞だ。
今は何万人と100才以上の方がいる。
どのくらいの人が幸せか、人生100才を語る方々に調べてほしいものだ。


子ども時代に100才生きるための準備教育をするなら、
人生の4分の1,25年くらいは学校でじっくり学べばいい。
自分の能力が追い付けないなら、留年があってもいい。
みんなバラバラの年令で学べばいい。それが本当の学びだ。
目先、小手先の教育だけでは100年を生き残れない。


長く生きれば生きるほどつらくなるような社会は、なんかおかしくないか。








山形不登校指南<2>

朝露に濡れて



   朝の時(トキ)と戦うな、ムダだ 



時間は万人に平等です。
金持ちには長く、貧困者には短かったということはありません。

「学校にどうして行かないの」と責められれば、じっと時を待ちます。
次にどうなるかはわかりませんが、今は時を待つ子どもたちです。

通学時間が終わり、授業が始まる頃には親子共に気持ちは平らです。
毎朝くり返される朝の光景。

今のこの時から開放されたい子どもと、
この時は二度とない大事な時間だと思う親のすれ違いがあります。
親の責め句はエスカレートして子どもをひるませおびえさせます。

親は仕事の時間が迫り、子どもは授業の時間が近づきます。
時間との戦いにも見えますが、時間が解決してくれるわけでは
ありません。


不登校が始まったら、時を忘れて子どもと向き合っていただきたいです。
子どもの思いやいま苦労していることをじっくり聞いてほしいのです。
こんな時間は一生のうちに何回あるかわかりません。

中学校はあっという間に終る、3年間。
高校もあっという間に終る3年間です。
親子の時間は、一生続く時間です。







学校消滅は、村落消滅

山形県開拓記念文集



久しぶりに本棚から取り出した一冊の文集。
「山形県開拓15周年記念作文集」

思い出がある。
この冊子に書かれてある「寒河江白岩中学校畑分校」に行ってみたいと思い
冊子を片手に出かけたことがあった。

国道112号線から北に、信仰の山葉山をめがけて九十九折の山道を行く。
途中、車から降りてあたりを見渡した。実に眺めがよい。
畑部落はまだ先だよと農作業の方に教えてもらった。


集落が見えるところに市営の休憩所があった。その中に入った。
管理人の方がいたので、訪ねてきた理由を述べて冊子を見てもらった。
自分の息子たちが載ってあると喜んで読んでくれた。
かつての暮らしぶりが子どもの目を通して書いてある作文だ。


1977年に畑小中分校は廃校となった。


日本では人の住んでいるところに必ず学校があった。
開拓地や戸数の少ないところには分校があった。
雪に阻まれた地域には冬季分校があった。
山形県内の小学校は、戦後2018年度までに305校が廃校になった。


県内を人体に例えれば、体の隅々まであった末梢細胞が壊死になり、
機能不全が徐々に体を蝕み、人体全体が弱った状態である。


村が消えていくには順序がある。
まずお祭りが消える。
次に学校が消える。
やがて、村が消える。


人口が少なくなるとどうなるか。
もっともっと想像力を働かせたいものだ。








山形不登校指南<1>

野の片隅に



    休日になると元気が出る 


登校時になると心が荒れる不登校初期。
ほとんどの不登校は家族中でパニックになります。
力ずくで学校に行かせようなら最悪の事態になるでしょう。


このような時でも休日や長期休みになれば
うそのような平穏な日を迎えることができます。


理由は簡単です。みんなが休んでいるからです。
みんなが休めば、自分も堂々と休めるのです。
周囲からの圧力がなくなり元気になるからです。


親もこの時ばかりはホッとします。
子どもが他の生徒と同じ状態になるからです。
親は周囲から同調圧力を受けて、
無言であっても子どもに圧力をかけていることがわかります。


休日は親も子もゆっくり休めばいいのです。
くれぐれも 「明日は行けるよね」 とは言わないでください。


そろそろ夏休みが目の前です。
今年の猛暑が気がかりですが、長い休みはチャンスです。
家族みんなで元気を取り戻していただきたい。










山形不登校指南<0>






   不登校は必ず立ち直れる!



「不登校は必ず立ち直れる!」
これは私の信念です。
長い相談経験から得た結論です。


不登校は必ず解決します。
周囲が複雑に絡みすぎるから解決しないのです。

不登校がもし病気なら、その病気は必ず治るものです。
「偽病気」といってもいいでしょう。


大人に出す薬は、大人を相手に科学的なデータで効果は証明されます。
子どもの薬の効果はどう証明されているのか、その根拠は何でしょう。
子どもに病名がついて喜ぶのは誰でしょう。


不登校について解決の道筋はいまだ定まっていません。
不登校は発見の旅です。
不登校はすべてが未知の世界です。

しかし、不登校は必ず立ち直れます。









学校にテレビが入った頃





小学校時代、テレビが学校に入った。
それは東京オリンピックのかなり前のことだ。

教室から離れた礼法室の畳の上に正座させられ、隣の人とぎっしり
詰められ小さな部屋に100人はいただろう。全体が静かになるの待つ。
教師はおもむろに正面のテレビの扉を開ける。

子どもたちに緊張が走る。丸みを帯びたブラウン管が現れる。
時々波線が入る。画面の色が薄く後ろの方からは何が映っているか
わからない。ただ今日は学校でテレビを見たのだという思いだけが残る。
当時、なにが映っていたのかなにも思い出せない。

近所に早々とテレビを買った友だちの家があった。
大相撲の時期が来ると友だちの家の茶の間に大勢集まった。
大人も子供もいっしょにテレビを観戦した。栃錦、若乃花を応援した。

小学生ながら大人と同じ時代に生きている実感があった。







二宮金次郎がいる


何年ぶりだろうか、二宮金次郎に会いたくなった。
新校舎が建てられてからまだ見たことがない。
かつては確か校門を入ると正面玄関がありそのわきに二宮金次郎がいた。

かつてのそのあたりはグランドになっているので何も見当たらない。
外にいる職員に聞いてみた。
「確かグランドの隅にあったような気がするが、今は台座しかありませんよ」
あちらの方ですと指さす方に行ってみた。



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確かに二宮金次郎がいた。
何と台座だけではなく本体があるではないか、ちょっとびっくり。
あまり存在感がないことが分かった。

山形市内の某小学校には地下の倉庫に二宮金次郎があおむけ
に転がされていた。外のすき間の鉄格子から覗ける位置にあった。
子どもたちは緊張しながら覗いていた。

庄内のある学校には目立たない場所に二宮金次郎はいた。
やはり薪を背負い本に目をやって歩く格好をしていた。
しかし、危ない! その進行方向正面には電柱があるではないか。
目と鼻の先に。交通安全の標語になるような光景だった。


子ども用施設


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山形市内には子ども用施設が増えてます。
学童保育(満杯)、障がい児童の放課後あずかり施設、認定こども園等々。
かつて、高齢者施設が雨後のたけのこのように立ち並んだと同じように
いま、子ども施設が乱立しています。

何棟もある施設に見学を申し込んだところ、はっきりしない理由で断られ
ました。税金投入は世の流れで、納税者としては理不尽ですね。


ある学童保育を見学しました。子どもの宿題は半分だけ世話をします。
あとの半分は、親の責任だそうです。このような知恵が必要ですね。
誰が育ての親かわからない時代に突入しました。

利用者は施設の質を問うことがとてもだいじです。
親の利便性だけでえらべば、将来にとんでもないことが起こる
予感がします。








プロフィール

寺子屋太郎

Author:寺子屋太郎
山形県在住
教員退職後、不登校の相談活動のほか講演活動などをしています。
お気軽にご相談ください。

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