FC2ブログ

山形不登校指南<55>

L1040469.jpg



       少し遠いけど 輝くひかりが見える



不登校の保護者の皆様。

「遊育のとびら」をいつも開いて読んでくださっている皆様。

心から感謝いたします。


今日、2018年12月29日は山形は大雪です。

家庭は子どもたちを温かく包んでいることでしょう。

今年、不登校の闇の中に入った方。

今年、闇のかなたにかすかな灯を見いだした方。

親として苦しさを味わった1年ではなかったでしょうか。


皆様に希望のことばを贈ります。


「明けない夜はない。」

「凍てつく冬も必ず春は来る。」

「ユキツバキは雪が積もれば積もるほどきれいな花が咲く。」



来年も不登校のかなたにある輝くひかりを、

追い求めていきたいと思います。

皆様に新しい年が前進の年になりますようお祈りいたします。












スポンサーサイト

山形不登校指南<54>

L1040484.jpg



     中学生の進路問題は困難が当たり前



子どもの進路問題は簡単ではありません。。
それは不登校であっても、登校している子でも同じです。

中学2年のこの時期は、中3に向けて進路指導が入ります。
幼い時から職業的な夢のある子は例外ですが、
ほとんどの子は毎日生きていることで精いっぱいなので、
進路問題が目の前に来なければあまり考えないのが普通です。

学校としてもまあこの時期に、子どもと親に聞いておくかという程度でしょう。
その程度に考えておけば気が楽になります。


子どもにとって先がほとんど見えないしイメージできません。
こんな状況で進路を考えなさい、進路をいったん決めておきなさい、
というのは酷なような気がします。


私はこれまで大学生や浪人生の進路にかかわってきました。
高校生や大学生でも、その先のことになると迷うばかりでした。

ましてや中学生です。白紙からのスタートです。
親子で十分話し合いたいものです。


そこで子どもが進路進学を考えるには、どんな情報が必要でしょうか。
例えば次のような情報が役に立つでしょう。


  ◇学校や塾の成績で学校の資料から進路・進学校を決める。
    (高校に序列があって、一般的には輪切りという言い方がある)

  ◇大学進学、経済問題から県立高校にする。

  ◇自分が興味を持っている、工業、商業・農業系の学校にする。

  ◇高校に行ってからまた考えるので、普通高にする。(公立、私立)

  ◇昼働いて夜間学校で勉強する

  ◇通信制の高校にする。(不登校が入れるNHK学園等)

  ◇寮のある学校にする。


今の子には選択肢がとても多いです。
まだ一年ありますので、本人がよく考えて選択できるようにするのがいいですね。


進路進学をこれまでほとんど考えたことがなければ、
話し合うたびにコロコロ気持ちが変わるかもしれません。

友だちの話、オープンスクールと新しい情報が入るたびにかわるのが普通です。
子どもの変わる気持ちをしっかり受け留めることがとても大事ですね。


不登校の子には高校に行かないで仕事をする選択肢もあります














山形不登校指南<53>





    発達障害ってなんだ!



マスコミに発達障害という言葉を目にしないときはありません。
かつては子どもの問題でしたが、大人の発達障害の問題が深刻のようです。

発達障害による不登校とは何でしょうか。
両者はどのような関係にあるのでしょうか。

私には精神医学的に、心理学的な素養が不足しているのか、
研究者の語る言葉があまり理解できません。
もっともっと平易な言葉で、生活レベルでもわかるように
論じてほしいと願っています。

発達障害とは、脳の部位疾患・機能疾患なのか、遺伝的なものなのか、
環境によるものか、治るものかものか治らないものか判然としません。


医療機関で発達障害の疑いがあると診断が出ても、
それは不登校要因の一つです。
すべてではありません。

学校に行くことを渋る子どもには必ず原因になる問題があります。

 ◇発達障害かもしれません。
 
 ◇家庭環境かもしれません。
 
 ◇学校の担任教師、学級環境かもしれません。
 
 ◇友だちかもしれません。
  
 ◇本人の精神的な成長かもしれません。
 
 ◇勉強がわからなくなったのかもしれません。

このように、不登校は子どもの総合問題です。
子どもはあらゆることを背負いながら成長していきます。

決して発達障害だけが問題ではありません

たとえ発達障害と診断が出ても、
子どもの問題を考えることはやめないでほしいと思います。











山形不登校指南<52>

L1040409.jpg




    学校は出たけれど



不登校でも高校は入れます。
今はいい時代になりました。

今年も連絡がありました。
高校に入りました
大学に進みました

元不登校生徒から連絡があり、
よくがんばったものだといつも喜んでいます。
生徒1人1人希望に満ちた顔が浮かびます。

しかし、大学をやめました
もう高校には行けません
という話も入ってきます。

進学した学校をやめるまでには相当の葛藤があったことでしょう。
心が折れたのにはきっと理由があったはずです。


私は不登校状態をを安易に認めているわけではありません。
本人の不登校の持つ教育的な意味を問い続けています。
本人にとってプラスになる面があると信じているからです。

その子の成長に合う教育の問題です。

ですから学校に行ければいいとか、
高校に入学できればいいとか、
大学に入ればすばらしいと安直に考えることには賛成できません。


子どもはいずれ独り立ちしていきます。。
進学することのみの目標では見失うことが見られます。


不登校に戻らないことを念頭においています。

進学すれば待ち受けていること。


〇毎日の通学する。(体力)

〇毎日同じような生活のくりかえし。(忍耐力)
 @起きること、寝ること、食べること、
   趣味をすること、遊ぶこと、家庭学習。

〇家族や学校の人間とのかかわり。(関係力)



これが次へ進むステップの準備です。
これをおろそかにはできません

学校に行かなくても、このような準備の心があれば、
次の段階に行ったときに困ることがありません。

この準備は、
本人の成長につながっているからです。













少子化で崩壊する学校

L1040447.jpg



    少子化は学校を狙い撃ち



これからは、少子化によって学校も子ども世界もどんどん変化します。
スポーツの世界は変わる兆しが出ています。

まず、スポ少ですが小学校単位でやってきた少年団は、
少子化で解散したり統合したりしています。
加入者が減少して成り立たない地域が続出しています。

中学校のスポーツ部活も例外ではありません。
かつて、1000人から800人いた中学校が、500人、300人になりました。
生徒数が減少すると部活も減らさなければなりません。
校内の力関係で廃部を余儀なくされた部は数え切れません。

今後はさらに廃部に拍車がかかるでしょう。
スポーツの苦手な子供たちは、スポーツ部ではなく文化部に入ります。
集団の競技はますます入部する子はいなくなるでしょう。


新しく中学校ができてから70年。
今の親、祖父母の時代は華やかな部活・クラブ活動三昧でした。
大会の範囲は県大会どまり。
その後東北大会ができて、今では全国大会が当たり前になりました。

全国中学校大会に出場すれば、顧問教師は鼻高々です。
担任する教室の子どもたちよりも、部活命の教師がたくさんおりました。
それを保護者たちはサポートしてきました。こんな姿はもう時代遅れでしょう。

各スポーツともにすそ野が広がっていた時代は、
中学校部活~高校部活~大学、社会人あるいはプロの道に進むことに、
異論はありませんでした。


しかし、今後はそうはいきません。
少子化によりスポーツのすそ野はものすごい勢いで縮小し続けています。

もはや少子化により、学校スポーツは社会に移行すべき時がきています。
きちんとした管理のもと、科学的な運動でけがのないスポーツを奨励する時です。


中学校のスポーツ組織は、古い形そのままで今に至っているのでしょう。
子どもの過労と教師の過重勤務につながる練習時間一つとっても合意形成ができません。
勝利至上主義の弊害です。

学校スポーツ(勝利主義)は社会に移行し、
生涯にわたる健康について、
生徒一人一人に身につく文化として、
正規の体育授業を充実
させてほしいものです。

中学校のほころびはその口を大きく開け始めています。











山形不登校指南<51>

L1040410.jpg



     時間を精一杯生きている



「君は精一杯生きているか。」
大人が若者に問いかける一言です。
親が子どもに問いかけたい言葉でもあります。

不登校でこもる時間は、本人にとって必要な時間であると考えています。
時間について少し考えてみたいと思います。

人生をメジャー(ものさし)でたとえてみましょう。
1年間をメジャーの1cmで考えます。

6歳(小1)の人生は6cmです。
1年間は1㎝で、人生全体の6分の1です。

10歳(小4)の人生は、10cmになります。
その一年間は、1cmです。全体の10分の1です。

14歳(中2)の人生は、14cmです。
この子の1年間は1cmで、全体の14分の1です。

親が40歳の人生は40cm。
1年間は同じく1cmで、全体の40分の1になります。
100歳ではどうなりますか。

1年間の1cmは、人生全体の中ではだんだん小さくなります。
人生を長く生きれば生きるほど、1年間は短く感じるのはこのためです。
長生きすればするほど1年間が貴重になります


子どもはどうでしょう。
1年未満の子どもなら、1年間は何倍もの時間になります。

生まれて3か月の子なら、1年間は4倍の長さです。
ですから、その日その日を精一杯生きているのです。

親が40歳で子どもが14歳なら、人生の中の時間の量がちがいます。

不登校でこもる時間は、
親から見れば、取り返しのつかない時間に見えるかもしれませんが、
子どもにとっては、十分取り返しがつく時間とも考えられます。


子どもはどこからでも再出発ができるのです。
子どもは毎日、彼・彼女なりに精一杯生きています











山形不登校指南<50>

L1040425.jpg



    人間関係の糸



中学不登校の子どもたちの最も苦手なことは、円滑な人間関係を作ることです。
みんなとなかよくしなければと考え、それなりの行動をします。
しかし、みんなとかみ合わなくて自己嫌悪におちいります。

このみんなとなかよくというのが曲者です。
これは幼い時にしみ込んだ教育が強すぎて、
いつまでたってもそうしなければと思い、
自分を追い込んでしまうようです。

そのため人間関係に混乱が生じて訳が分からなくなり、
自分で整理がつかなくなる子どもがいます。

目には見えない人間関係は人数が多くなるほど、関係性は複雑になっていきます。
自分がかかわっている人を図に書いて、糸でつないでみるとわかります。


2人の関係は1本の糸

3人の関係なら3本の糸

4人なら6本の糸


2人の関係はとても安定します。
3人になるといくらなかよしでも、あやうい関係になる。
安定する2人関係プラス1人になり、1人がはみ出るケースが多いようです。


子どもの世界では、
こんな些細なところからいじめが起きたりするのかもしれません。

本人から見て1本の糸は安定しているが、
関係の糸が3本以上になると組み合わせが多くなり、一気に複雑になります。
そこには独特の空気感が生まれ、お互い疑心暗鬼になったりすることがあります。

人間関係の糸には人間にまつわるいろいろな質的な要素があります。
それぞれの糸には、
感情があり、義理があり、相性があり、信頼があります。

糸にはそれぞれ遠近軽重があり、太い細いがあって、
無意識のうちに複雑な処理をしています。

これは経験がものをいう世界です。関係の糸はどれくらいあり、
子ども時代の自由な遊びの中で、人間関係のアヤが育まれてきました。

近年、子どもの自由な遊びを目にすることが少なくなったことは残念です。

自分の目の前には、どんな糸でつながっているか、
子どもともう一度考えてみたいものですね。










山形不登校指南<49>

L1040426.jpg



    子どもを見るものさし 



子どもには、長所もあれば短所もあります。
人として短所長所があることは親と全く同じです。

子どもが不登校になると、子どもの短所ばかりが目につくようになります。
これまでの子どものよさがすっかり消えてしまい、
悪いところばかりを指摘するようになります。

時には子どもの全否定に及ぶことがあります
最悪の状況です。


幼児期から培われた家庭の人間教育は、人としての教育です。
この人としてが、「家庭のものさし」になります。

しかし、小学校に入ると一変します。
家庭の中はしだいに「学校のものさし」だらけになります。


「学校のものさし」とは明快です。
できる・できない、わかる・わからないが数値で表されて、
順番が決まり、集団の中の位置が決まります。

これが家庭内で子どもを見るとき幅を利かせ、
子どものよさや特性をしのぐ、
強い力になっていきます。

家庭は本来子どものもつ人間的なところや能力に注目して、
「家庭のものさし」「と「学校のものさし」は、
共にバランスよく子どもに伝えていくことが望ましいのです。


「家庭のものさし」とは何でしょうか。

◇とてもやさしい

◇負けずきらい

◇おしゃべりがすき

◇一人遊びがうまい

◇本がすき

◇動物や花がすき

◇ものづくりがすき

◇小さい子のめんどうをみる

◇誰とでもなかよくする

◇祖父母をだいじにする



これらのことは、「学校のものさし」には該当しません。
ですから学校ではほとんど評価されることはありません。
(今度、道徳が教科になりましたのでどうなるかわかりません。)

でも、世の中に出たら本人の個性として、長所として大いに評価され、
その能力が生かされます。

子どもたちにはいいものがいっぱい詰まっています。
これからもっともっと重視しなければなりません。


「学校のものさし」で子どもをコントロールしなければ、
子どもの元気回復はかなり早まります。









続きを読む

山形不登校指南<48>

L1040335.jpg



    不登校の時間



子どもが不登校になると、親はもがきます。
これは自然な心の動きです。

不登校になると、親は心の底に大きな不安を抱えます。
これから子どもがどうなるか、この不安と向き合うことになります。

親が冷静にいろいろ考えられるようになるまで相当時間がかかります。
親にとって時間が必要です。


不登校になると、子どもは,家にいる時間が多くなります。
この子どもが家にいる時間について考えてみたいと思います。


親、学校、世間一般では、

「人生で取り返しのつかない時間」

と考えます。

それはあたりまえのことで、そうでなければみんなが学校に行ってる間、
家にいることを認めると、学校の存在価値が薄れます。
極論すれば、学校に行く意味がなくなります。

学校はただ同じ年齢の子どもたちの空間と時間を囲ってきたわけではありません。
子どもたちのかけがえのない時間だからこそ、学校に行かなければならないと、
家庭は代々子どもに教え諭してきました。

しかし、現実には子どもはかけがえのない時間を共有できないでいます。

子どもに学校が大事だから、行け行けと強制してもらちがあきません。
大人社会の常識と子どもの行動にずれがあることに気づかなければなりません。


その考え方の転換をすることが、親子の心の接近になります。

今の学校に行かない時間は、

「子どもにとって必要な時間」

だと考えることです。

この時間をどう考えるかはとても難しいのですが、

人間の経験は無駄なことは何もない

先人の回想に照らしても明らかです。

この時間をどう子どもの成長につなげていくか

考え方の切り替えと同時に、家族で考えていただきたいテーマです。


「子どもにとって必要な時間」の先にあるものは、


自分で考え,、自分で行動できる、自立した個人です。











母校という名の学校

L1040364.jpg



      それぞれに学校はある



学校が消えると、村はさびれていきました。

私が通った街の学校は滅びずに今もすべて残っています。
校舎は全部建て替えられたので、母校といったなつかしさはありません。


私が勤めた九つの学校は、今はどうなっているでしょう。

最初に勤めた山間地の分校はもうなくなりました。
かつての卒業生と村の皆さんと和気あいあいと閉校式をやりました。
何十軒とあった村は、今では2軒だけです。


二番目の山間部の小さな学校もなくなりました。
地域の方や大勢の先生方で盛大な閉校式になりました。
思い出がかけめぐりました。


五番目の学校は100年以上の歴史をもつ学校でした。
華やかな炭鉱時代があり全盛期には千人の生徒がいた学校。
最後は複式学級で二けた子どもになりました。
あたたかい感謝の気持ちのこもった閉校式でした。


この半世紀に山形県内から何百という小学校が消えました。

母校という学校がもう存在しないのです。


高齢者の皆さんは小学校時代の話になるといきいきします。
担任先生の思いで、友だちとあそんだこと、校庭の光景など。

当時の学校はそんなに設備が整っていたわけではありませんが、
かつての学校の楽しさがどんどん伝わってきます。
勉強もしたのでしょうが、なぜか勉強の話は出てきませんね。


人それぞれに学校の思いがあります。

学校は一人ひとりのふるさとになるところです。

今はさびしいふるさとばかりになりました。